新着情報

2020.10.25
ホームページを公開しました(https://www.jihi.jp/)

1 僧侶派遣・慈悲の会(曹洞宗)

◎法要内容等

〇通夜、葬儀(二日)(戒名・読経・法話・お膳料・お車代・心付け)――――13万円

〇一日葬(戒名・読経・法話・お膳料・お車代・心付け)――――――8万円

〇直葬(戒名・読経・お車代・心付け)―――5万円

〇年忌法要等(読経・開眼、閉眼供養・法話・お車代・心付け)――――――万円

◎派遣エリア

東京23区、千葉、埼玉

◎依頼先(お問い合わせ)

慈悲の会(曹洞宗) (携帯電話:090-1218-3785)(08:00~20:00)

          (固定電話・fax兼:047-433-9373

(メール:yamadera24@jcom.zaq.ne.jp

2 自著販売

◎山寺邦道『死生観』パレード社

概要の紹介:本書は、第一部妻の死、第二部得度、第三

部死生観から構成されている。

第一部では亡き妻の悲嘆と無念さを著者が時の経過によって風化させずに心に焼き付ける想いから、亡妻の闘病生活を中心に記述したものでる。また第二部の得度は、日本仏教七宗派のうち僧侶になるのが最も厳しいとされる曹洞宗の禅僧を目指して、古希をはさみ著者が修行した経過等について論述し、更に第三部では、第一部と第二部を踏まえた上で死生観を様々な観点から参究したものである。

(1800円=定価1600円+消費税+送料)


◎山寺邦道編著『死への準備』パレード社

概要の紹介:本書は、二部構成となっており、第一部は

死への準備、第二部は僧侶の任務である。

僧侶の職務は端的にいって二つあると考える。それは悩み苦しんでいる人々の心を救済すること、もう一つは死者に引導等仏事を執り行うことである。前著『死生観』は、出版後多数の読者からの温かいご感想を頂いたが、それらのご所見等をも踏まえ、第一部では、死をめぐる主要問題について様々な観点から考察し、また第二部では、昨今の葬祭業務のほとんどすべてを取り仕切っている葬儀社といえども犯すことができない僧侶の大切な任務である戒名授与と葬儀・読経等について解説したものである。

1700円=定価1500円+消費税+送料)

◎依頼先(お問い合わせ)

慈悲の会(曹洞宗)(固定電話・Fax兼:047-433-9373

(メール:yamadera24@jcom.zaq.ne.jp


死生観
死への準備

3 揮(き) 毫(ごう)

◎掛軸等の揮毫請け合い(揮毫僧侶山寺邦道は高等書道師範)
掛軸・額・帖・巻子・扇子・短冊・色紙等の揮毫

◎サンプルの解説等(各画像を左クリックすると拡大する)
〇諸行無常(掛軸-上下部分省略)
 諸行無常偈といわれ涅槃経にある四句の偈である。これが空海のいろは歌と整合しているところが絶妙である。簡潔に表現すれば、万物は無常にして生じては滅し再生しては又滅していく。それが静まり止むことこそ安楽すなわち死である。日本の伝統的葬送の際、棺を四句の偈の「四本幡」で囲って送る由縁である。
〇合掌(掛軸-上下部分省略)
 合掌とは、両手をあわせて仏を拝む時の礼法である。インドの敬礼作法の一種が仏教に取り入れられた。南アジア一帯の仏教国では、挨拶の代わりに合掌して相手に礼を尽くす。仏と衆生が合体して成仏するという意味である。
手を合わせることは、左右相対したものが一つになり、信じることや調和を保つことの象徴でもある。
〇千曲川旅情の詩(巻子)
 本巻子は、万葉仮名で揮毫したものである。なお、現代文にすれば次のとおり。
 小諸なる小城のほとり 雲白く遊子悲しむ 緑なすはこべは萌えず 若草もしくによしなし しろがねの衾の岡辺 日に溶けて淡雪流る  あたたかき光はあれど 野に満つる香も知らず 浅くのみ春は霞みて 麦の色はつかに青し 旅人の群はいくつか 畠中の道を急ぎぬ  暮れ行けば浅間も見えず 歌哀し佐久の草笛 千曲川いざよふ波の 岸近き宿にのぼりつ 濁り酒濁れる飲みて 草枕しばし慰む    
            藤村落梅集から  邦山書
〇『摩訶般若波羅蜜多心経』(額)
 一般に最も親しまれている『般若心経』は正式には『摩訶般若波羅蜜多心経』といって、唐の玄奘三蔵法師(600~664)の訳とされている。『大般若経』から抄出されたと考えられているこの『般若心経』は、本文わずか262文字の中に仏教の教えのすべてが網羅されている。すなわち、『般若心経』に取り上げられている五蘊・六根・十二因縁・四諦・八正道などはすべて釈尊の教義の基本をなすもので、それを「空」として説くものである。したがって、『般若心経』を学ぶことは、仏教の基本をきちんと学ぶことになる。また、読誦経典としてだけでなく、写経の経典としても最も多く一般的に使われている。小生は三十代の頃から毎朝『般若心経』を読誦するのが日課となっていた。
僧侶になる前から毎朝たとえ数分ではあるが姿勢を正し読誦して人間として生きることに対する罪業消滅等を願ってきた。

◎依頼先(お問い合わせ)
慈悲の会(曹洞宗)(メール:yamadera24@jcom.zaq.ne.jp)



 
 
 
 









千曲川旅情の詩
摩訶般若波羅蜜多心経

4 坐禅指導

 日本全国の曹洞宗が認可した参禅道場、坐禅会を行っている寺院等は、多数存在する。
 関東一都三県(神奈川、千葉、埼玉)だけでも百か所以上あるが、ここでは大本山總持寺と大本山永平寺東京別院長谷寺の参禅会等に限定してその概要を紹介する。

◎大本山總持寺の坐禅会
 總持寺の参禅には、主に次の3コースがある。
〇月例参禅
 月例参禅は、毎月指定した日を自由参加の坐禅会として開催している。なお、自由参加の参禅は、予約なしで参加可能。先着100名で受付終了。初参加者は午後1時までに香積台受付に集合。午後1時受付開始で4時頃解散。服装(持参品)は、坐禅しやすい恰好(ジャージ等) 参加費は500円
〇暁天参禅
 暁天参禅は、毎月指定した日を自由参加の坐禅会として開催している。なお、自由参加の参禅は、予約なしで参加可能。先着100名で受付終了。開催時間等は、05:15~05:45受付時間厳守、6時止静、7時頃解散。服装(持参品)は、坐禅しやすい恰好(ジャージ等) 参加費は300円
〇一泊参禅『禅の一夜』
・日程等
 新型コロナウイルス感染症流行のため2020.9月以降の日程は、未定。定員30名の予定。持参品は、洗面・入浴用具、タオル、白靴下、寝間着。参加費6000円(坐禅着レンタルの場合7000円)
・スケジュール
 第1日目(土)             第2日目(日)
 16:30 受付・着替え         3:40 振鈴(起床)
 17:00 挨拶・坐禅指導        4:10 止静・抽解
 17:30 止静(坐禅開始)           朝課(朝のお勤め)
 18:10 抽解             6:30 小食(朝食)、飯台片付け
 18:30 薬石(夕食)、飯台片付け   7:15 作務(掃除)
 19:30 夜話会            8:30 茶話会(祖録)                         
 20:00 明朝説明           9:00 挨拶・解散
 20:10 入浴              *希望者は9時以後に坐禅 一ちゅう 
 21:00 開枕(就寝)          *終了後拝観(希望者のみ)
・申し込み方法
 希望者は、住所・氏名・年齢・性別・電話番号・職業・参加希望日(リピート可)を
往復はがきに明記の上、下記住所まで送付のこと。
住所:〒230-8686 横浜市鶴見区鶴見2-1-1 大本山總持寺布教教化部参禅室
電話:045-581-6086  FAX:045-581-6348

◎大本山永平寺東京別院長谷寺の坐禅会
 長谷寺では、毎週月曜日18:30~20:30の間次の3コースを設けている。参加予約等は必要なし。服装(持参品)は、坐禅しやすい恰好(ジャージ等) 参加費は100円
①初めての参加者は、『初心者講習』がある。
②2~5回目の参加者は、『2回目~5回目講習』がある。
③6回目以上の参加者は、即『参禅』
〇坐禅会の流れ(時間配分等)
・一ちゅう目(18:30~19:10)
 (一ちゅうとは、線香が燃え尽きるに要する約40分を意味する)
・経行(19:10~19:20)
 (経行「きんひん」とは、足の痛みをとるための歩く坐禅)
・抽解(19:20~19:30)
 (抽解とは、便所に行くなど次の坐禅に備える時間)
・二ちゅう目(19:30~20:10)
 以上の流れは、6回目以上の参禅者の基本となる流れである。なお、『初心者講習』、
 『2回目~5回目講習』は、参加者の様子に合わせて独自の時間配分で行う。

大本山永平寺東京別院長谷寺の住所等は、次のとおり。
住所:〒106-0031 東京都港区西麻布2-21-34
電話:03-3400-5232





5 法話録

◎慈悲の会 代表 山寺邦道の法話録(適宜更新)
 今回は、人の一生と死をめぐる問題について考えてみたい。
 釈尊は、生老病死の人生を苦であると観念し、苦からの離脱を目指して修行した。別の表現をするならば仏教とは「悟り」を追求する宗教である。そして追及の先に求めるものは涅槃寂静(安心)である。しかし、人生は苦しみと絶望の連続である。幸せは不幸と不幸の間のつかの間の一時ともいえる。そして最後には必ず人生の終焉を迎える。こういった無情な人生をどう考えて生きるべきか。人生を三昧の精神で有意義なものにするか、あるいはその反対に死ぬまでの暇つぶし(遊び)にするかは、本人次第である。人の数だけ人生観があるが、小生がこれまで生きてきてこれだけははっきり言える哲学がある。それは、「よく生きることは、よく死ぬことであり、よく死にたいと思うならよく生きることである」ということである。
 釈尊は、瞑想(坐禅)によって悟り(涅槃)を得た。それはまさに三昧の境地である。真の三昧の境地は我々俗人には到底到達できない境地であろうが、精進によってそれに近い精神状態には至ることができると考える。それは無我夢中、集中、熱中、没我等の状態に自己を持っていくことである。そこに生きがい、張り合いが生まれ自己の満足がある。
 しかし、それでも人生には限りがある。やがてすべての人間に訪れる死から逃れることはできない。そのために何時お迎えが来ても後悔がないように死の準備が必要である。したがって、何時いかなることが起ころうとも悔いのないように、今日只今を一生懸命大切にそして丁寧に生きること以外にない。

 人間はどうして生まれてきたのか、人が死んだらどうなるのか、どこへ行くのか、死後の世界をどうとらえるか、人生に意味があるのか等々についての死生観の究明の試みは、太古の昔からなされてきており、その結論は永遠の命題である。
 釈尊は、弟子たちに死後の世界のことを聞かれたとき「無記」といって決してお答えにならなかった。
 また、弘法大師空海は、自著『秘蔵宝鑰』の中で、次のように記している。
「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥し」
 これは簡単にいうと、我々は死がなんであるかを知らないとともに、どこから来てどこへ行くかを知れ得ない、すなわち人間の思考の域を超えているという意味である。
 それでは、人生に意味があるかどうかについてはどうだろうか。
 トルストイは西洋哲学のあらゆる文献を彼の地位と財力で集められるだけ集めて、それを約十年の歳月をかけて調べ尽くした。「人生は無意味である」いかなる西洋哲学を持ってしても、この結論だけは改め得なかったと約十年の研究の末結論付けている。
 およそ人間に死がなければ宗教や哲学は存在しないであろう。昔から宗教や哲学が中心にする対象は生死の問題である。特に仏教においては『正法眼蔵』に象徴される如く生死をどのように超克するかが大問題とされている。
 また、私たちは死を見つめることによって、自分に与えられた時間が限られているという現実を再認識することができる。それは毎日をどう生きていったらいいかを改めて参究することであるから、死への準備はそのまま生への準備に外ならないといえる。

 最後に重ねていうが、この世は諸行無常である。この世に絶対かつ平等なものがたった一つある。それは人の死である。人は遅かれ早かれ必ず死ぬ。したがって、何時いかなることが起ころうとも悔いのないよう、今日只今を全身全霊を傾け一生懸命生きることが肝要である。どうか皆様のご精進を期待して結びとする。

   御仏の慈悲の光に照らされて 唯ひたすらに今ぞ生き抜く











 
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